ハナマログ

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北マケドニア共和国の「オフリド」を観光

皆様、お久しぶりでございます。

仕事とブログの両立が一向にできる気配の無いはなまるです☺︎

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

気温も下がり、みかんが美味しい季節となりましたね😊

みかんで爪が黄色くなる季節の到来です。

私は暖かい羽毛布団から出られない日々が続いています。

是非とも私に羽毛布団から出る方法を教えていただきところです☺︎

 

さて、本題にへ移りますが、今回はイタリアシリーズから一旦離れ、別の国に旅行した際の記事を発信してまいりたいと思います。

 

ということで、今回はバルカン半島旅行の中で訪れた北マケドニア共和国の「オフリド」について、ご紹介いたします。

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(撮影:はなまる)

  

北マケドニア共和国とは★

(参考:Wikipediaコトバンク、添乗員さんの解説)

 

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(撮影:はなまる)

 

東ヨーロッパのバルカン半島中央部に位置している「北マケドニア共和国」。

ご存知かもしれませんが、現在とは異なる国名になっていた過去があります。

 

最初は、古代ギリシアの「マケドニア王国」を由来として「マケドニア」という呼び名で存在していました。

 

しかし、ブルガリア、ビザンティン、セルビアの支配を経て、14世紀末からオスマン帝国領(トルコ)となってしまいます。

 

その後、1912年~1913年に2度起きた「バルカン戦争」においてオスマン帝国が敗れたことにより、マケドニアは、セルビア(40%)、ブルガリア(10%)、ギリシア(50%)に3分割されます。

 

第2次世界大戦後には、「セルビア領のマケドニア」が「ユーゴスラビア連邦」を構成する共和国の1つとなりました。

 

その後、時間が経過し、1991年6月にユーゴスラビア連邦を構成する「クロアチア」と「スロベニア」が独立を宣言し、同年11月に「マケドニア」も独立を宣言。

 

しかしながら、マケドニア地域の南半分(50%)はギリシア領であり、なおかつ「マケドニア」の呼び名は、古代ギリシアの「マケドニア王国」が由来とされていたこともあり、ギリシアが国名に対して強く反発(経済制裁なども実施)しました。

 

国名を巡る対立は長年に渡って続き、1993年の国連加盟の際には、「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」という暫定的な国名で加盟した経緯もあります。

 

そして、2018年6月にマケドニア共和国の国名を「北マケドニア共和国」に変更することで両国が同意し、現在の国名となりました。

 

★バルカン戦争における「ブルガリア」の末路★

 

上記の「北マケドニア共和国」における変遷について、内容整理をするために情報収集をしている中で個人的に気になったのが、バルカン戦争時における「ブルガリア」の過去についてです。

 

上記内容と少しばかり重複しますが、「マケドニア」は最終的にセルビアブルガリアギリシアに3分割されることになりますが、そのうちブルガリアの領土は10%と少ない結果に終わります。

 

なぜ大きな差があるのでしょうか。

 

それは、2度のバルカン戦争で起きたブルガリアの同情したくなってしまうような悲劇があったからです。

 

第1次バルカン戦争は、「イタリア・トルコ戦争」によって厳しい状況に陥っていたオスマン帝国に対して、

「今がチャンス😊」とばかりにバルカン同盟(ギリシアセルビアブルガリアモンテネグロ)が立ち上がり、勃発しました。

 

その結果、オスマン帝国は敗れることになります。

宿敵は敗れ去ったのに、なぜ第2次バルカン戦争が起きてしまったのか。

 

それは、ブルガリアが欲を出してしまったのがキッカケでもあるのです。

オスマン帝国が敗れ去り、残された領土(マケドニア含む)を得るために、バルカン同盟であるセルビアギリシアに先制攻撃を開始します。

 

そこで悲劇は起こりました。

 

ブルガリアセルビアギリシア戦が勃発する中、セルビアギリシア側にモンテネグロルーマニアが加わり、失った領土を取り返すためにトルコも戦争に参戦する結果となり、窮地に立たされます。

 

その窮地に立たされた状況を想像すると、ブルガリアの指揮官のセリフが浮かびます。

「そりゃ勝ち目ないですやん」と。

 

四方八方から攻撃を受け、全然味方が居なかったブルガリアは瞬く間に敗北してしまいます。なんと悲しい結末でしょうか。なんだか同情してしまいます。 

 

★今回ご紹介する「オフリド」とは★

(参考:Wikipedia、添乗員さんの解説)

 

北マケドニア共和国の西部に位置しており、隣国アルバニアとの国境にある「オフリド湖」が特徴的な観光地です。

 

添乗員さんによると、過去には市内に365もの教会が建っていたそうです。

 

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(撮影:はなまる)

 

また、「オフリド地域の自然・文化遺産」としてUNESCOによる世界遺産リストに登録されております。

 

全世界で39件しかない「複合遺産」ということもあり、大変貴重な観光地です。

 

オフリド市内の様子★

 

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(撮影:はなまる)

 

快晴ということもあり、非常に心地よかった記憶が残っています。

 

バルカン半島旅行において、最も素晴らしいと感じた都市が、この「オフリド」です。

 

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(撮影:はなまる)

 

市内は、平和でした😊

 

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(撮影:はなまる)

 

住宅地も古き良きヨーロッパの街並みとなっており、印象的です。

 

★「聖ヨハネ・カネオ教会」と「オフリド湖」★

 

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(撮影:はなまる)

 

綺麗で広大なオフリド湖を背景に、可愛らしい教会が建っています。

 

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(撮影:はなまる)

 

まるで絵本に出てくるような光景で、ずっと居たくなるような場所でした。

 

★名物料理のマス料理★

 

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(撮影:はなまる)

 

凄く品のある味で、また食べに行きたくなる料理でした。

 

生きているうちにもう一度行きたいですが、遠いので最初で最後の可能性も(泣)

 

是非訪れる機会がございましたら、ご賞味頂ければと思います。

 

★ボートから眺めるオフリドの街並み★

 

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(撮影:はなまる)

 

優しい現地のおじいさんに、ボートへ乗せて頂き、オフリド湖から見るオフリドの街並みは、長らく眺めていたくなる景色でした。

 

★まとめ★

 

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(撮影:はなまる)

 

北マケドニア共和国の「オフリド」については、他にも書き記したい事が残っておりますが、長編になってしまいそうなので、ここで締めようと思います。

 

今回の記事で少しでも「オフリド」に興味を持って頂けたり、観光情報として役立つ情報が提供できていたら嬉しい限りです。

 

最後までご拝読頂き、誠にありがとうございました。